おっぱいは海であり、波はパイズリであった。
今日も今日とて出航したはいいものの、風もないのに妙に波が高かった。海は厳しい、具体的に言うとジャイアンの母ちゃんくらい厳しい。
落水しかけたりクソほど酔ってゲロ吐きかけながら、たぱんたぱんと船を叩く波の音を聴いていると、不意に真理にたどり着いた。
海とは、おっぱいなのである。
母なる海、母とは母性であり、母性とはおっぱいである。
世界を包む海も、人を包むおっぱいも、根底ではなにも変わりはしない、海はおっぱい、sea is oppai
そして、海を揺らし、物を叩く波こそは、パイズリに他ならない
たぱんたぱんと音を鳴らし、白い飛沫をあげ、おっぱいと言える海を揺らす
これをパイズリと言わずしてなんと言おう、おれは今、地球にパイズリを受けているのだ
なぜ人がパイズリに惹かれるのか、その理由は海にあったのだ
海、地球の大部分を包むそれとおっぱいが同義ならば、我々はおっぱいに囲まれているのだ
飛沫をあげる波こそがパイズリであるなら、我々は海に出る度にパイズリを受けているのだ
当たり前に受けている大自然からの寵愛、当たり前故に気が付かなかったこと
その全てがパイズリに詰まっていたのだ
人間は、今すぐ海に行って自然からのパイズリを受けるべきだ
今すぐ海に飛び込み、地球のおっぱいを感じるのだ
そこに真理はある。