超高密度人口区域(α)

つよくなりたいぼくごさい

龍崎薫とガチ恋

https://twitter.com/polocku/status/907409959276601345

 

先日、というか結構前ではあるのだけど、こんなモーメントを見つけたので読んで見た。

 

滅茶苦茶引き込まれた、その日でこれまでの龍崎薫というアイドルのイメージがぶっ壊された。

上のは漫画とイラストをひとつのストーリーに繋げたようなものなのだけど、一つ一つが可愛らしい、素朴な感じで、小学生の可愛らしさとか純朴さとかがすごいうまく表現されるような絵柄なんだけれど、ストーリーとしては真逆の内容で、薫ちゃんの小悪魔的な、早熟な女子特有のまさに「小さな悪魔」と言えるような部分を味わえるものになっている。そのギャップがまあすごいい。

あと薫ちゃんがアイドルじゃない、一人の小学生なのだ。

それアイマスのキャラである必要ある?とか言われたらぶん殴る、アイマスの、アイドルの龍崎薫というキャラが前提にあったからこその衝撃なんだ、あの天真爛漫な薫ちゃんが一人の大人を翻弄してるって考えたら堪らなくない?俺は堪らないです。

セリフや先生の独白なんかも雰囲気に合っている、どうしようもなくて、理解もしていても「どうして?」と尋ねるあの感じ、めっちゃいい(語彙力消失)

 

で、折角なのであの「先生」の想いの源流はどこからくるのかって妄想したからつらつら書いていく。

 

まず第一に「9歳にガチ恋って人としてヤベェだろ」って部分はある、当たり前である、9歳だぞ、小学校中学年、ロリどころか下手すりゃペドに片足を入れかねないラインであり、そんな子にガチ恋したと知れたら社会的死が必然、滅茶苦茶にリスキーな恋である。

そんな子にガチ恋した上に、告白までしている先生の恋はどこからきたのか。

かなり失礼な言い方だが、ありがちなのはやはり「笑顔」だろうか。

薫ちゃんの笑顔は力がある、アイドルの時もそうではあるが、俺が思うに薫ちゃんの笑顔は

「人を笑顔にするための笑顔」では無いのだ。悪い意味ではない、いい意味で。

薫ちゃんは「楽しいから」という理由で笑うのだ、自分が楽しいという理由、これ以上に信じられる笑顔はない、信じられる笑顔はそれだけでも他人を喜ばせるには十分だと思っている。

(勘違いして欲しく無いのは「人を笑顔にする笑顔」を否定する気はいっっさいこれっぽっちもない、それは別のベクトルで素晴らしいものである。)

上で言った通りあの漫画の薫ちゃんは小悪魔的な面がある、けど本質が変わることはない、だとすればあの笑顔に触れた先生があらゆるものをとっこして恋情を抱くのも違和感はない。

 

別の可能性として、モーメントの一枚目の、あの瞬間こそが始まりだったんじゃないかと思った。

あの瞬間に、君が好きだと告げた時にはじめて恋心を認識したのではないかと思ったのだ。不意に出る言葉というものがある、あの好きという告白こそが不意に出た言葉だとしたら可能性はある。

好きだと告げた後の、薫ちゃんの表情や仕草が、あの笑顔を生んでいた薫ちゃんとは違う何かを孕んでいた、それを見たなら引き込まれるだろう、早熟故に「好き」の意味を理解して、返してくれた言葉の裏を知りたくなるのも頷ける。

 

二つ目の考えの方が、個人的に考えてて楽しい、作者さん的には勝手に好き勝手言ってると微妙な気分になってしまうかも知れないけれど、どうせこんな底辺ブログを見ることもないので安心である。

 

再三言うが、マジで上の漫画はいい、薫ちゃんの可能性を広げてくれる。

 

まあその辺は読んでもらえればわかると思うので、ぜひ読んで欲しい(人は選ぶかもしれないけど)

どんな人なら合うか考えたけれどわかんないのでとりあえず読もう、読んでダメならダメだったんだと思う。それはしゃーない。

ただ、ハマったらもう龍崎薫を以前と同じ目で見れなくなると思おう、俺はもう無理、2017年下半期でトップクラスのハマった二次創作だと思う。